ついてない日
今日はついてない日だ。
瓜江は錆びたような鼻につく臭いから一刻も早く離れたくて、速足でその場を去った。ビルとビルの間、暗い陰に紛れて大通りを見渡す。既にCCGには指名手配中の喰種を駆除したと連絡しているので、死体処理班がこの路地裏に到着するのも時間の問題だろう。彼らを待ちながら瓜江は無意識に奥歯を噛みしめていた。いつもなら喰種を駆除すればそれだけ自分の評価に繋がるので喜ばしいことだが、今日に限ってはそれすらも瓜江の苛立ちを助長するものでしかなかった。
今日が佐々木琲世の誕生日だからと、クインクスたちは数日前からこっそり誕生日パーティーを開く計画を立てていたらしい。らしい、と言うのは瓜江がその計画の話し合いに呼ばれなかったためなのだが、別に除け者にされたから苛ついているわけではない。数日前から米林辺りが妙にソワソワしているなとは思ったが、だからと言って理由を聞こうとは思わなかった。近々自分たちの上官の誕生日だということは知っていたので、どうせパーティーを計画しているのだろうと察することができたからだ。そういうことはやりたい奴だけで好きにすればいい。だのに、当日になって突然、瓜江はその計画に参加させられることになった。
「ママンの誕生日プレゼントを取ってきてくれい」
「は?(何を言ってるんだ、この馬鹿は)」
米林の言葉に唖然とする瓜江に、追い打ちのように六月も声をかける。
「プレゼントをみんなでお金を出し合って買うことになったんだよ。もう注文してあるから、瓜江くん引き取ってきてくれない?」
「……(まさか〝みんな〟には俺も入っているのか? 冗談じゃない)」
「先生が帰ってくるまでに料理や部屋のデコレーションもしないといけなくて、プレゼントを取りに行く時間がないんだ。……取りに行くだけだし、瓜江くん一人でも出来るよね?」
「当たり前だ」
まんまと六月の口車に乗せられた感は否めないが、こうして瓜江は近所の高級眼鏡店へと赴くこととなった。そうして注文していた眼鏡を受け取り、帰路に就こうとした時、指名手配されている喰種を発見したのだ。追跡の最中、運悪く先程受け取った眼鏡の入った紙袋の鳴らしたガサガサという音に気付かれて喰種は逃走し(瓜江はその喰種と以前にも交戦したことがあり顔を知られていた)、追いかけあいの末、路地裏に追い込んで駆除することに成功した。
わざわざ佐々木のプレゼントを取りに行かされ、そのプレゼントのせいで無駄に喰種と追いかけっこをするはめになった。死体処理班が駆けて来るのが見えても、瓜江の苛々は収まらない。
そもそもこのプレゼントが悪いのだ、と左手の先を睨みつけるも、そこにはあるはずの紙袋は存在しなかった。
なかなか帰ってこない瓜江を心配して探しにやって来た六月は、ビルの前に集まる数人のアタッシュケースを持った人間の中に瓜江を見つけて駆け寄った。
「どうしたのこんなところで? 随分探したんだよ」
六月に気付くと、瓜江はいつも以上に眉間にしわを寄せて目を逸らす。何かあったのだろうか。不思議に思って瓜江を観察した六月は、ふとあることに気付いた。
「瓜江くん、プレゼントは?」
「…………」
気づいた時には手元から紙袋はなくなっていた。恐らく、喰種を追いかけた際にどこかに落としてしまったのだろう。瓜江は苦虫を噛み潰したような表情で六月にそう告げた。しょうもない失敗をしてしまった。やはり今日はついてない日のようだ。
無意識に六月から視線を外して足元を見ていると、突然六月に手を取られた。驚いて顔を上げる。繋がった手をたどって六月の顔を見ると、彼は安心させるようにニッと笑って瓜江の手を引いて駆け出した。
「瓜江くんが来た道を引き返そう! 時間もあまり経っていないしすぐ見つかるよ、大丈夫!」
手を繋いで駆けて行く二人を道行く人々が不思議そうに見ている。六月は瓜江の手を放す気はないようで、ぎゅっと握ったままきょろきょろと周囲を見渡して、紙袋が落ちていないか探している。六月の手は薄く、指も細くて、男と繋いでいるとは思えなかった。ただ、掌にはクインケの鍛錬でついたのであろう、何度も破けて硬くなった肉刺があった。それを頼もしく思ったわけではない。けれど、瓜江は走りながら六月の手をぎゅっと握り返した。
喰種を追っているうちに随分遠くまで来ていたようだ。歩道橋を渡り、入り組んだ道を抜け、駅前を探して、改札口で落とし物を拾わなかったか駅員に訊いた。生け垣の間を覗いて、談笑中だったご婦人にも尋ねた。しかし紙袋は見つからない。このまま紙袋は見つからず、帰って米林や不知に責められるのかと思うと段々足取りも重くなってくる。無理矢理ではあったが、班員のお金で買ったものを失くしてしまい瓜江は柄にもなく自分が落ち込んでいると感じた。
優しく頭に手を置かれて、瓜江ははっと横を見た。また六月が微笑みながら、繋いでいない右手を瓜江の頭に乗せている。そのままわしゃわしゃと髪をかき混ぜられた。
「何をする!(髪がグチャグチャだろうが!)」
「ごめん、落ち込んでるように見えたから……」
謝罪しながらも六月は髪をかき混ぜることをやめない。
「一緒に謝るから、そんな悲しそうな顔しないで。瓜江くんが悪いわけじゃないよ」
六月はこんなに頼もしいやつだっただろうか。いつも赫子を出せずに捜査では足手まといだと思っていた。なよなよしていて男らしくなくて、血を見るのが苦手で。けれど、今の六月はどうだろう。瓜江を励まし、優しく微笑んでくれる。知らぬ間に繋いだ手は恋人つなぎになっていた。そう言えば先程から六月は必ず車道側を陣取って歩いている。自転車が前から来る度に、瓜江を庇うようにそっと壁側に体を寄せてくる。頼もしいというよりは、女扱いをされているような気がしてきた。
「おい、六月(女扱いするな)」
「なぁに、瓜江くん?」
こてん、と首をかしげながら六月が瓜江の顔を覗き込んでくる。男同士のはずなのに、いちいち六月の仕草にどきりとしてしまう。顔が赤くなっているような気がして、六月から顔をそむけた。
「瓜江くん?」
「……何でもない」
「うそ。耳真っ赤だよ」
驚いてばっと振り向くと、六月がしたり顔でこちらを見ていた。やられた。瓜江は瞬時に前を向いて六月の手をぐいぐい引いた。完全に照れ隠しだ。後ろからくすくすと笑い声がする。
「笑うな」
「あははっ、だって瓜江くん可愛いんだもん」
引っ張っていた手を引き戻されてとなりに並んで歩く。まだ顔の熱は冷めないので、進行方向から目は逸らさない。反対に六月はずっと瓜江の顔を見ているようだ。
「先生には申し訳ないけど、プレゼントが失くなって良かったよ。こんな可愛い瓜江くんが見れた」
恥ずかし気もなく伝えられる言葉がくすぐったい。はやくシャトーに着いてくれと願いながら、それでも瓜江は六月の手を振り払わなかった。
二人が玄関の扉を開けると、見知った皮の靴が置かれていた。それは間違いなく、彼らの上官であり今日の誕生日パーティーの主役である佐々木琲世のものだ。思ったよりも探している間に時間が経ってしまっていたらしい。瓜江と六月はどちらともなく顔を見合わせて、慌てて靴を脱いでリビングに向かった。
「おっそ~い!」
「お前らどこで道草してたんだよ!」
リビングの扉を開けると、米林と不知が憤慨しながら出迎えてくれた。
「ごめんね。いろいろあったんだ」
「いろいろって何だよ?」
「いや、それは……」
二人に詰め寄られて六月は冷や汗を流している。そこに先程までの頼もしさは微塵もなく、いつもの頼りなげな六月の姿に瓜江は何故かほっと胸を撫で下ろした。
「瓜江くん、六月くん、おかえりなさい」
「先生!」
やはり二人よりはやく帰宅していた佐々木は勤務時のスーツのまま、にこりと微笑んで瓜江の前に立った。
「はい、これ。瓜江くんの落とし物だよね?」
そう言って佐々木が差し出してきたものを見て、瓜江と六月は目を丸くした。
「これは……(なぜあんたが持っている)」
「帰る途中に落ちていたのを拾ったんだ。そしたら瓜江くんのにおいがしたから、瓜江くんの落とし物だろうと思って持って帰って来たんだ。……もしかして、ずっとこれを探してた?」
途中から困り顔になって佐々木が渡してきたものは、ずっと探していたプレゼントの紙袋だった。
「見つけた時点で連絡しておくべきだったよね……ごめん」
瓜江は返す言葉が思いつかず、無言で差し出された紙袋を受け取った。困ったように笑いながら冷や汗を流す六月、紙袋を指さして目を剥いている米林と不知のことは見なかったことにする。
「…………」
沈黙が辛い。どうしたらいいのか分からずに、無意識に六月に目線で助けを求めた。
「じ、実は、先生が今日はお誕生日だと聞いて、みんなでパーティーの準備をしていたんです。それは僕たち4人からのプレゼントで、瓜江くんが取りに行ってくれたんですが、帰りに喰種に遭遇してしまって失くしてしまっていたんです。瓜江くんはそれをずっと探していたんです。だから、先生が見つけてくれて嬉しいです」
そう言いながら六月に背中を摩られて、瓜江はぶっきらぼうに紙袋を佐々木に押し付ける。そのぎこちない動作にふふっと背後で六月が笑う気配がして、また顔が熱くなった。
「誕生日おめでとうございます」
その言葉に、ぽかんとしていた佐々木の顔がたちまち喜色満面になった。
「みんなありがとう!」
その後、パーティーは滞りなく進んだ。知らぬ間に米林が有馬や伊東たちを呼んでいたようで、主役であるはずの佐々木までもがキッチンに立たなければならなくなったが、それでも佐々木は嬉しそうに終始笑っていた。
今日はついてない日だと思っていたが、たまにはこんな日があってもいいのかもしれない。片付けもひと段落してソファでコーヒーを飲みながらそんなことを考える。
「瓜江くん」
キッチンからコーヒーを持った六月が出てきた。そのまま瓜江の隣に腰かけたかと思うと、肘と肘がくっつくほど密着してきた。
「おい(ちかい!)」
抗議をしようと横を見ると、六月の顔が触れるほど近くにあった。驚いてかたまる瓜江の唇にふにっと柔らかいものが押し付けられて、すぐに離れた。
「ごちそうさま」
かわいいから外で我慢するの大変だったんだよ?
最後にぽんぽんと瓜江の頭を撫でて、六月は部屋を出て行った。
瓜江は扉が閉まるのを見届けてからコーヒーをテーブルに置き、腕で顔を覆ってソファに横になった。
「くそっ、格好良すぎるだろ……」
腕の間から見える瓜江の耳は、真っ赤に染まっていた。